クッション言葉とは相手に質問したり、お願いしたりする時に、その言葉に付け加える前置きの言葉のことをいう。「恐れ入りますが」とか「よろしければ」とかそういう言葉だ。

では、どうしてクッション言葉を使うのかというと、文字通りクッションのように柔らかく丁寧な印象を与えられるからである。以上!

ってオイ!

……さきほど、「クッション言葉」でググったら、上位表示されたサイトのほとんどでこの説明をしていた。ハッキリ言うが、クッション言葉は丁寧な印象を与えるという目的で使う訳ではない。

そこで、この記事ではクッション言葉の本来の目的について今更ながら説明する。

クッション言葉は予告である

例えば女性に年齢を聞きたい時があるだろう(どんな時だよ)。普段の会話ではなかなか聞かないとして、コールセンターなんかだと本人確認として聞かなきゃいけない時もあるわけだ。

その時に「では、ご年齢をお伺いできますでしょうか。」といきなり聞くのと、「失礼ですが、ご年齢をお伺いできますでしょうか。」と聞くのとでは、当然後者の方が丁寧な印象を与え、イイネ!となる。

ん?

……イイネ!って、なるか??

年齢をあまり言いたくない人からすれば、どのような言い方をされても嫌なもの嫌ではないだろうか。したがって、クッション言葉を使ったからといって、決して丁寧な印象を与える、とは限らない。

では、なぜクッション言葉を使うのかというと、それはこれから失礼なことを聞きますよ」、「言いにくいことを言わせますよ」、と予告するためである

この予告がないと、「ま!なんでそんなこと聞くのかしら!」とプリプリされてしまう。プリプリしちゃうのは、あまりにも突然過ぎて、冷静さを失ってしまうからで、丁寧な印象を与えられていないからではない。

コールセンターにおいて本人確認というのは当たり前に行われるものだが、それを知らないお客さまもまだまだいらっしゃる(とくにご年配の方)。そこで、クッション言葉により、失礼を予告する。

お客さまも「あ、何か聞かれるな。」と身構えるから、冷静に質問を聞くことができる。丁寧と感じるからどうかは別として、それで一応は答えくれる。クッション言葉は予告のための言葉に過ぎないのだ。

クッション言葉は磨耗する

クッション言葉を使えば、聞きたいこと、言いたいことを言えるわけだから、クッション言葉ってやっぱりスゴイ!

スゴイんだけど、使いすぎはよくない。なんでもそうだが、やりすぎはよくないのだ。もう少し言うと、同じクッション言葉を繰り返し使わない、ということである。

次のトークは、クッション言葉=丁寧さを与えるため、と考えている人がやりがちなことだ。

恐れ入りますが、ご住所をお伺いできますでしょうか。」
「郵便番号がー……。」
恐れ入りますが、お電話番号もお聞かせいただけますでしょうか。」
「090のー……。」
恐れ入りますが、ご生年月日も
(略

なんとなく分かったと思うが、同じクッション言葉を繰り返し使うとその効果がどんどん薄れていってしまう。現実のクッションもずっと座り続けると、フカフカ感がなくなっていくように、クッション言葉も磨耗する。

これでは失礼の予告であるはずのクッション言葉が形骸化して、クッション言葉そのものが失礼な表現になってしまう。これは恐ろしい……。

かといって、クッション言葉を一度きりしか使わないというわけにもいかない。ではどうするかというと、聞きたいこと、言いたいこと(本題)に対応する予告の言葉を選び、使い分けるということが必要になってくる。

お手数をおかけいたしますが、ご住所をお伺いできますでしょうか。」
「郵便番号がー……。」
恐れ入りますが、お電話番号もお聞かせいただけますでしょうか。」
「090のー……。」
失礼ですが、ご生年月日も
(略

こんな感じに聞きたいこと、言いたいことに対応するクッション言葉をチョイスする。チョイスが難しいように思えるが、「本題に対応する予告」ということで考えればそこまで大変ではない。

  • 住所は長い。長いことを言うのって面倒。だから「お手数をおかけしますが」。
  • 先に重ためのクッション言葉を使ったから、電話番号の聴取は軽めにしとくか。そこで汎用的に使える「恐れ入りますが」。
  • 生年月日って聞かれるの嫌な人いるよね。失礼だ、と思う人いるよね。だから「失礼ですが」。

クッション言葉はボキャブラリーが多いほどいいと言う人もいるが、僕はちょっと違うかなと思う。だって、どれだけ言葉を知ってても、その使い方を間違っては意味がないのだから。そのため、リストのようにして、ただ暗記するようなことはやめたほうがいい。

むしろ、問おうとしていることは何か、それに対応する予告とは何かを真剣に考える。多少正しくない言葉遣いだとしても、そっちの方がよほど生きた言葉になる。

丁寧とは何か

冒頭で申し上げたように、クッション言葉は丁寧を表すためにするものではない。あくまでも失礼を予告するために使うものである。もちろん、使わないより使った方がより丁寧な印象を与えることもある。けれど、それを目的としてはいけない。クッション言葉から丁寧さが出たとして、それはただの副産物に過ぎないのだ。

「結果的に丁寧な印象を与えられるんだったら、当初の目的が何であれ、やっぱりクッション言葉を使えば丁寧に聞こえるんじゃないの? 細かいことにこだわるなよ。それでいいじゃん……」確かにそのように考えることもできる。

しかしこうも考えられる。すなわちクッション言葉の本来の目的を知らないということは、本題に対応した適切なクッション言葉を選ぶことができない。なぜならば、丁寧さの演出として考えるため、どの言葉にどのクッション言葉を使っても丁寧な表現だ、と錯覚してしまうからである。

差し障りなければ、申込書にサインをいただけますでしょうか。
契約は両者の合意をもって成立するのに、差し障ることがあるのだろうか。
失礼ですが、アンケートにご協力いただけますでしょうか。
アンケートは面倒なものであるけれど、失礼なものだろうか。

このように目的を知らないと、言葉の本来の使い方を深く考えず、とりあえず使っている、という状態になってしまう。実はこれ、少し加工したが、すべてうちの従業員の話である。

その従業員にクッション言葉は何のために使うのかを聞いたところ「丁寧さを出すため」と答えてくれた。まさに、クッション言葉の目的を知らないがために起きたことだと思う。

まとめ

繰り返しになるが、クッション言葉の目的は失礼を予告するためである。もちろん、クッション言葉から副産物とはいえ、丁寧さが与えられる効果があることを否定するつもりはない。むしろ、そういう効果もあることを期待して積極的に使ってほしいくらいだ。

ただ、副産物を目的と考えてしまうと、どうしても形ばかりのものになってしまう。テクニックだけが一人歩きして、礼儀をつくす、という顧客対応の基本がどこかへ行ってしまう。

そのため、クッション言葉を使うだけで満足して終わらぬように、クッション言葉本来の目的を考え、適切な言葉のチョイスができるよう頑張ってもらいたい。